ハワイアンジュエリーの歴史|起源から現代まで

雲の切れ間から眩しく輝く夕日と水平線の写真
アロハ! みなさんはハワイアンジュエリーの歴史をご存じでしょうか?
今回は、ハワイの歴史を紐解きながら、その起源、発展、そして現代につづくまでのハワイアンジュエリーの道のりを詳しくご紹介します。

ハワイアンジュエリーの歴史には諸説ある

ハワイアンジュエリーのルーツは、17世紀末および19世紀のイギリスで流行した「センチメンタルジュエリー」にあると言われています。

センチメンタルジュエリーとは、愛する人への想いや故人を偲ぶ気持ちを込めたジュエリーのことで、名前やメッセージの刻印、ハートや花のモチーフなどがよく用いられました。

こうしたジュエリーの様式がハワイの王族に伝わり、独自のモチーフと融合することでハワイアンジュエリーとして発展していったと語られています。

しかし、具体的にいつ頃、最初のハワイアンジュエリーが作られたかについては、さまざまな説が飛び交っています。

今回は、6年の歳月をかけてハワイアンジュエリーの歴史研究を行ったとされるフィリップ・リカード氏の著書の情報を参考に、その歴史をご紹介していきます。

しかし、古くから口伝によって文化を継承してきたハワイ。その歴史の真実を解き明かすことは容易ではありません。インターネット上で語り継がれている様々なエピソードを完全に否定するわけではないことをご理解ください。

激動の時代を生きたリリウオカラニ女王

最初のハワイアンジュエリーが誕生したのはいつなのか。
その鍵となる重要な人物として、ハワイ王国最後の君主である「リリウオカラニ女王」についてご説明します。

1887年のリリウオカラニ女王の写真(ゴールデンジュビリー出席時)

リウオカラニ女王は、まだ独立国家であった頃のハワイ王国で生まれ、ハワイ王国の終焉に立ち会った最後の女王です。アメリカからの侵略に抵抗し、捕虜となったハワイ市民の命を助けるために、王位を捨て、ハワイの人々のために活動を続けたことで知られています。また、150曲以上を作曲した才能あふれる音楽家であり、慈善事業にも熱心に取り組むなど、多岐にわたる分野で活躍しました。

プライベートでは、夫の不貞や子供に恵まれなかった悲しみなど、多くの困難を乗り越えなければなりませんでしたが、夫の隠し子を養子として迎え入れて大切に育てたなど、深い愛情と慈悲の心で人々に接したといわれています。

ハワイアンジュエリーの原点「永遠なる想い」のバングル

そんなリリウオカラニ女王が生涯身に付けたとされるジュエリーが、「Ho’omanao mau(ホオマナオ・マウ)」、ハワイ語で「永遠なる想い」を意味する言葉が刻まれたバングルでした。このバングルこそが、ハワイアンジュエリーの原点といわれています。

1891年、53歳の頃のリリウオカラニ女王。腕には最初のハワイアンジュエリーとされる「ホオマナオ・マウ」と彫られたバングルをつけている。

原点とされるハワイアンジュエリーのデザイン

ゴールド素材に黒のエナメルで文字を入れたこのバングルは、17世紀後半のイギリスで流行したセンチメンタルジュエリーや、19世紀のヴィクトリアン・モーニング・ジュエリーに影響を受けたものと考えられています。

ヴィクトリアン・モーニング・ジュエリーとは、当時イギリスを統治していたヴィクトリア女王が、夫であるアルバート公を亡くして以来、長期間にわたり着続けた喪服に合わせて、黒いエナメルや黒い宝石(ジェットやオニキスなど)を施したジュエリーを身につけたことに由来する様式です。

最初に作られたのはいつ?込められた想いとは?

このハワイアンジュエリーの原点となるリリウオカラニ女王のバングルがいつ作られたのか、どのような想いが込められているのかについては、諸説あります。

・リリウオカラニ女王とヴィクトリア女王の親交が深く、アルバート公の死を偲んで作らせた
・1887年のヴィクトリア女王即位50周年式典(ゴールデンジュビリー)で賜った

と語られることが多いですが、ハワイアンジュエリーの歴史研究家であるフィリップ・リカード氏によると、リリウオカラニ女王がヴィクトリア女王に初めて面会したのは1887年のことであり、バングル自体はそれ以前の1862年にホノルルの宝石商クリスチャン・エカートによって作られ、1862年の時点でリリウオカラニ女王が既に身につけていたとの記録を残しています。

1862年はリリウオカラニ女王が結婚した年であり、アルバート公が死去した翌年でもありました。

どのような意図で、どのような想いで作られたバングルなのか。
その真相は謎に包まれたままですが、バングルに刻まれた「永遠なる想い」という言葉は、リリウオカラニ女王が生涯をかけて大切にした価値観を表しているのかもしれません。それは、愛する人への想い、家族への愛情、ハワイへの深い愛着など、様々な解釈が可能です。

ハワイ王国の終焉と「アロハ・オエ」のバングル

その後、ゴールドとエナメルで作られたジュエリーはハワイの王族や富裕層の間で徐々に人気を集めていましたが、まだ一般には広まっていませんでした。

劇的な変化が訪れたのは、1893年のことでした。

1893年1月17日、ハワイ王国はクーデターにより崩壊し、リリウオカラニ女王は8ヶ月もの間イオラニ宮殿に幽閉され、退位を余儀なくされます。幽閉される12日前、彼女は親交のあったゾーイ・アトキンソンという人物に、「アロハ・オエ(さようなら、愛しい人)」という言葉と日付が刻まれたバングルを贈っていました。

アトキンソン氏は当時、ハワイのポフカイナ女学校の校長を務めており、リリウオカラニ女王との交流があったとされています。

「アロハ・オエ」は、かつてリリウオカラニ女王が作詞作曲した歌のタイトルであり、別れの悲しみ、最後の抱擁、そして再会の希望が表現された歌でした。元々は恋人同士の別れを歌ったラブソングでしたが、時代と共にその意味は変化し、現在ではハワイ王朝の終焉や、女王とハワイの人々との別れを象徴する歌として親しまれています。

女学生たちの憧れから生まれたエアルームジュエリー

アトキンソン氏の学校の女学生たちは、リリウオカラニ女王から贈られたバングルに心を打たれ、同様のバングルを母親に求めて、身につけるようになりました。

これが母から娘へと受け継がれる「エアルームジュエリー(代々伝わる家宝)」の始まりであり、ハワイアンジュエリーが広く人々に愛されるようになったきっかけとなりました。

現代のハワイアンジュエリー

その後、人気の高まりとともに、ハワイアンジュエリーは地元のエキゾチックな花や葉、伝統的なオールドイングリッシュのスクロールデザインなどを取り入れ、独自に発展していきました。

自然豊かなハワイの風景を表現するモチーフとして、波(スクロール)、プルメリア、ホヌ(ウミガメ)、マイレの葉などがよく用いられます。これらのモチーフには、それぞれ意味や願いが込められており、身につける人に幸せをもたらすとされています。

ハワイアンジュエリーは、自然と調和するハワイの精神を反映しており、身につける人に癒しと安らぎを与えてくれるのです。

「永遠なる想い」を込めたマキシのハワイアンジュエリー

  • マキシのリリウオカラニレプリカコインペンダントK10YG
  • マキシのリリウオカラニレプリカコインペンダントSilver925

左 5221-083-4 リリウオカラニレプリカコインペンダント/K10YG

右 5221-082-4 リリウオカラニレプリカコインペンダント/silver925

今回登場したリリウオカラニ女王の肖像を描いたレプリカコンを用いたハワイアンジュエリーペンダント(チェーンと組み合わせてネックレスとしてお使いいただけます)。

マキシでは、リリウオカラニ女王がバングルに刻んでいた「永遠なる想い」をブランドコンセプトに、ハワイアンジュエリーをお作りしています。

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最後に|ハワイアンジュエリーに込められた想い

いかがでしたでしょうか。
ハワイアンジュエリーには、愛する人への想い、家族や友人との絆、そしてハワイへの愛など、様々な想いが込められています。それは、リリウオカラニ女王がバングルに込めた「永遠なる想い」のように、時代を超えて受け継がれる大切なメッセージです。

ハワイアンジュエリーを身に着けるたびに、私たちは愛と強さ、そしてハワイの美しい自然と文化を思い出すことでしょう。それは、私たちの人生を豊かに彩り、未来へと繋がる、永遠の絆となるはずです。

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